ショスタコーヴィチの世界

ショスタコーヴィチの世界

ドミートリイ ショスタコーヴィチ (1906-1975)

ドミートリイ ショスタコーヴィチは、20世紀のあらゆるスタイルが混在する現代音楽界において、決定的な影響力を持ち君臨している。 ペテルスブルグ音楽院にてピアノ、作曲の基礎教育を受け、19歳から21歳の間に、交響曲第一番、第二番、ピアノ・ソナタ第一番、オペラ 『鼻』 (Le Nez) を作曲するなど、早熟な才能を発揮し、またメイヤーホールド劇場とのコラボレーションや映画音楽、コザンッェフとトウベルグ(Kozintsev & Trauberg)による無声映画 『新バビロン』 『ひとり』 などの作曲も手掛け、その後やってくる激動の時代を予感させつつも、新時代を代表する作曲家としての地位を確固なものとしていった。

1936年、ソビエト当局との最初の対立が起こった。オペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、世界各国で絶賛されていたにもかかわらず、「プラウダ」紙社説にて「荒唐無稽な音楽」と批判される。この「プラウダ批判」を堺に、ショスタコーヴィチの名声は、栄光と残忍な批判の間で揺れうごく運命となる。特に1948年のジダーノフの反形式主義のキャンペーンでは批判が激化し、辛酸を舐めることになる。

ショスタコーヴィチが残した音楽作品は Opus(作品)番号がつけられたものだけでも147作品にのぼり、その他Opus番号がない作品も存在する。膨大な作品の中、器楽作品(交響曲15作品、カルテット15作品、コンチェルト6作品、トリオ2作品、クインテット1作品、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタ、ヴィオラ・ソナタ、『24の前奏曲とフーガ』を含めたピアノ作品)が圧倒的な比率をしめている。と同時に、多くの声楽作品(歌曲集『風刺』、『アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌曲』、歌曲集『ユダヤの民族詩から』、『マリーナ・ツヴェタエワの詩による6つの歌曲』、『ミケランジェロの詩による組曲』)も残している。ムスログスキーのオペラ 『ボリス・ゴドゥノフ』や『ホヴァンシチナ』など、再オーケストレーションをした新改定版や、 『死の歌と踊り』などの声楽作品も完成させている。

サンクトペテルブルク音楽院、モスクワ音楽院の教師として数多くの生徒の指導にあたり、ボリス・ティシチェンコ、ボリス・チャイコフスキー、カラ・カラーエフ、ガリーナ・ウストヴォーリスカヤなど、のちに有名な作曲家となる生徒を育成している。またエディソン・デニソフ、ソフィア・グバイドゥーリナ、クシシュトフ・メイエルがデビューするのも援助している。『ロスチャイルドのバイオリン』は、 戦争により未完の作品を残して他界した弟子、ヴェニアミーン・フレーイシュマンの遺志を継いで、ショスタコーヴィチが補筆・完成させた作品である。チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院長のヴィッサリオン・シェバリーン、また ミェチスワフ・ヴァインベルク、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチとも親交が深かった。

ドミートリ ショスタコーヴィチの作品は、コンサートで演奏、レコード録音、またラジオでオンエアされる現代音楽作品の中でも群を抜いて多く、今でもファンが増え続けている。

 

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